『モリー先生との火曜日』 ~ミッチ・アルボム~ [「ドキュメンタリー系」]
人生のコーチが死の前に
教えてくれた
いちばん大切なこと
ノンフィクション不朽の名作
スポーツコラムニストとして活躍するミッチ・アルボムは、
偶然テレビで大学時代の恩師の姿を見かける。
モリー先生は、難病ALS(筋委縮性側索硬化症)に侵されていた。
16年ぶりの再会。モリー先生は幸せそうだった。
動かなくなった体で人とふれあうことを楽しんでいる。
「憐れむより、君が抱えている問題を話してくれないか」
モリーは、ミッチに毎週火曜日をくれた。
死の床で行われる授業に教科書はない。
テーマは「人生の意味」について。

- 作者: ミッチ・アルボム
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2004/11/21
- メディア: 単行本
<著者のプロフィール>
ミッチ・アルボム(Mitch Albom)
フィラデルフィア出身。
1970年代後半、ブランダイス大学の学生時代に社会学教授の
モリー・シュワルツと出会う。
卒業後、プロミュージシャンを目指すが、挫折。
コロンビア大学でジャーナリズムの修士号を取得し、
デトロイト・フリープレス紙のスポーツコラムニストとして活躍。
AP通信によって全米No.1スポーツコラムニストに過去13回選ばれている。
本書Tuesdays with Morrieは、ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラー・
リストで4年間1位を続けるなど、世界的なベストセラーとなる。
2003年には初のフィクションThe Five People You Meet in Heavenを
発表。現在、妻ジャニーンとミシガン州フランクリンに在住。
<その他の著書>
『もう一日 for one more day 』
『天国の五人』
<著者のHomePage等>
『Mitch Albom website』(英文)
<この本との出会い>
Teitterで勝間和代さんがお勧めの本を募集していて、その中の1冊です。
<本の構成>
カリキュラム
講義概要
学生
視聴覚教室
オリエンテーション
教室
出欠確認
最初の火曜日<世界を語る>
第二の火曜日<自分をあわれむこと>
第三の火曜日<後悔について>
視聴覚教室<第二部>
教授
第四の火曜日<死について>
第五の火曜日<家族について>
第六の火曜日<感情について>
教授<第二部>
第七の火曜日<老いの恐怖>
第八の火曜日<かねについて>
第九の火曜日<愛はつづく>
第十の火曜日<結婚>
視聴覚教室<第三部>
第十二の火曜日<許しについて>
第十三の火曜日<申し分のない1日>
第十四の火曜日<さよなら>
卒業
むすび
訳者あとがき
ページ数 203ページ
読書時間 3時間
<以前紹介した著書>
なし
<関連動画>
なし
<関連記事>
音楽朗読劇『モリー先生との火曜日』
<本文からのご紹介>
第四の火曜日<死について>
「こういう考えを出発点にしよう。誰でも死ぬことはわかっているのに
誰もそれを信じない」
この日のモリーは、てきぱきと事務的だった。テーマは死。例のリストの最初の
項目だ。ぼくが着く前に、モリーは白い紙に忘れないように二、三メモを書きとめていた。
手が震えるので、もう当人以外誰にも判読できない。労働者の日が間近で、仕事部屋の
窓から裏庭の緑の生垣が見え、通りで遊ぶ子どもたちの声が聞こえてくる。学校が始まる前の
最後の自由な週を楽しんでいる。
デトロイトでは、新聞スト参加者が祝日を期して大規模なデモの準備に大わらわ。経営者に
組合の連帯を見せつけようという算段だ。来るときの機中で、ある女性が就寝中の夫と娘
ふたりを射殺したというニュースを読んだ。「悪い人たち」から守るためだったとか。
カリフォルニアでは、O・J・シンプソン裁判の弁護団が超有名人にのしあがっている。
ここモリーの仕事部屋では、人生が一日一日と貴重な時を刻んでいる。いっしょに座った
ところからほんの1メートルほどへだてて、新しく備えつけられたものがある―酸素吸入器だ。
小型で持ち運び可能、高さ30センチあまり。モリーが十分呼吸できない夜など、長いプラス
チックの管を蛭よろしく鼻孔に取りつける。何にせよ器械につながれているモリーの姿など
考えるのもいやで、つとめてそこから目をそらしていると、モリーがまたくり返して言う。
「誰でもいずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない。信じているなら、
ちがうやり方をするはずだ」
みんな自分をだましているんですね。
「そのとおり。しかし、もっといいやり方があるよ。いずれ死ぬことを認めて、いつ死んでも
いいように準備すること。そのほうがずっといい。そうしてこそ、生きている間、はるかに
真剣に人生に取り組むことができる」
死ぬ準備なんて、どうすればいいんですか?
「仏教徒みたいにやればいい。毎日小鳥を肩に止まらせ、こう質問させるんだ。
『今日がその日か?用意はいいか?するべきことをやっているか?なりたいと思う人間に
なっているか?』」
モリーは、実際に小鳥がいるかのように、ぐるりと首を肩のほうに向けた。
「今日が、私の死ぬ日かな?」
モリーはどんな宗教からもいいところを自由に取り入れた。生まれはユダヤ教だが、子どもの
頃いろいろな目にあったことが一つの原因で、十代のとき不可知論者になった。仏教やキリスト
教の哲学にもある程度共鳴するものの、依然、文化的にはユダヤ教に安らぎを感じている。
宗教についてはいわば雑種で、そのことが長年教えてきた学生たちに対していっそう寛容な
姿勢をとれるもとでもあったのだ。この世の最後の何カ月でモリーの口から語られるもの、
それはすべての宗教のちがいを超えている。死がそれを可能にする。
「実はね、ミッチ。いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べるんだよ」
ぼくはうなずいた。
「もう一度言っておこう。いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」そう言って
にっこり笑うモリーのやり方がぼくにはよくわかった。あれこれ質問してぼくが気まずい
思いをすることを避け、要点をまちがいなくのみこめるよう気を配っている。それもモリーが
すぐれた教師であるゆえんだった。
『モリー先生との火曜日』P84~P86より
この本は、売れっ子スポーツコラムニストが、恩師で難病ALSに侵された
モリー先生と死の床でインタビューを行うという形式で進められております。
このモリー先生の授業は、死と愛についてが中心なのですが、特に、死に関する講義は
実に解りやすく表現しております。
アメリカ等では死の教育として、デスエデュケーションは一般的に行われて
いるそうですが、日本ではあまりなじみのない言葉だと思います。
具体的には、本文から紹介した”第四の火曜日<死について>”で書かれています。
モリー先生は、”いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる”と言っております。
漠然と生きるのではなく、いかに死ぬのかを見つめ直すことにより、これからやるべきこと
今やるべきことが見えてくるはずなのですね。
そして一日一日を、死への準備は出来ているか?やるべきことをやったか?なりたいと
思う人間になっているか?を自分自身に問うことで、後悔の無い人生になるのではと
言っております。デスデスエデュケーションはとても重要な教育だと思います。
やはり少子化の今、教育の現場でもデスエデュケーションを行うことは大切なのでは
ないかと思っております。
- ショップ: 楽天ブックス
- 価格: 998 円












こんばんは。
死、老、愛にまつわる畏れから解放されれば幸せになれるんでしょうね。そんな本なのかな。
by カノッチ (2010-09-11 19:20)
Simpleさん いつもniceありがとうございます。
カノッチさん コメントありがとうございます。
確かに簡単に言うとそんな本なのです^^
が、モリー先生は、何かと不器用なミッチだから、
基本的な内容の授業を行ったのでは?と思ってます。
by RONRON (2010-09-12 16:33)